歴史千葉
千葉の偉人
千葉常胤(つねたね)と亥鼻城跡 千葉市
大椎城(現在の千葉市土気町)に生まれ、源頼朝を助け鎌倉幕府樹立に大功を立てた。亥鼻城によった千葉氏最盛期の城主。城跡には現在、市立郷土博物館、県文化会館、県中央図書館などがあり“文化の森”と呼ばれている。
青木昆陽(こんよう)と甘藷(かんしょ)試作地 千葉市 九十九里町
享保20年(1735年)山武郡九十九里町と千葉市幕張町で甘藷(サツマイモ)を試作し、その普及にも努め、大凶作から庶民を救った。
佐藤泰然(たいぜん)と旧佐倉順天堂 佐倉市
泰然は、堀田正睦の招きで佐倉に移り、新しい外科手術や種痘などを行った近代医学の先駆者であり、天保14年佐倉順天堂を創設した。「西の長崎、東の佐倉」といわれ近代医学に大きく貢献し、建物は、現在記念館となっている。
浅井忠 佐倉市
明治洋画界の先覚者の一人。わが国初の洋画美術団体の明治美術会を創立し、後に東京美術学校(現東京芸術大学)等で教鞭もとり、洋画の普及に努めた。
津田梅子 佐倉市
女子教育の母。8才でわが国初の女子米国留学生となり、後に今日の津田塾大学を創立した。
伊能忠敬と記念館 佐原市 九十九里町
九十九里に生まれ、18才で佐原の伊能家を継ぎ、公益にも尽くした。50才で隠居後、天文・暦学を学び日本全国の正確な実測地図を作成した。旧宅に隣接する記念館には、忠敬が作成した地図や遺品が展示されている。
大原幽学と旧林家住宅 干潟町
幽学は、44才で房総に来遊し、旧長部村を中心に後半生を農民教育と農村改革に捧げた。林家住宅、門人であった林伴兵衛が幽学の設計、指導のもとに住宅を建築したもので大原幽学史跡公園内に移設し、復元された。
国木田独歩と句碑 銚子市
銚子市に生まれた詩人、作家で、自然主義文学の重鎮。「武蔵野」「牛肉と馬鈴薯」等の著書がある。海鹿島海岸には、「なつかしきわが故郷は何処ぞや彼処にわれは山林の児なりき」と刻まれた文学碑がある。
伊藤左千夫と生家 成東町
近代歌壇の巨匠。短歌「アララギ」の発刊を主宰。「野菊の墓」等の作品で良く知られている。門人から優れた歌人たちを輩出した。生家が同町殿台にあり、公開されている。
荻生徂徠(おぎゅうそらい)と勉学の地 茂原市
江戸時代中期の儒学者で、古文辞学を唱え、当時の思想に大きな影響を与えた。寛文6年(1666年)江戸に生まれ、14才の時父方庵が咎を受け上総国本納村に流されたため、一家も移り住んだ。許された父と共に江戸に帰るまでの約12年間この地で勉学にはげみ、後日大儒者となる基を築いた。
宮彫刻師「伊八」 鴨川市
江戸時代中期から関東一円の神社仏閣に装飾彫刻を施し、5代に渡り引き継がれた。初代は名人「波の伊八」といわれ、特に波涛、竜などの装飾に秀でていた。
古泉千樫(ちかし)と生誕地 鴨川市
明治19年旧吉尾村(現鴨川市)に生まれた。伊藤左千夫の下で茂吉らと「アララギ」の発展に尽くした。平淡の中にも実感に即した歌風により日本近代短歌史上不滅の地位を築いた。
菱川師宣と記念館 鋸南
房洲保田(現鋸南町)で縫箔刺繍を業とする吉佐衛門の子として生まれ、浮世絵師として大成した。木版画の分野に新しい様式を生み出し、一般庶民の風俗や遊女、芝居の描写に新境地を開いた。
日蓮聖人と誕生寺 天津小湊町
鎌倉時代の僧で、法華経を説き、日蓮宗を開いた。誕生寺は、健治2年(1276年)に弟子の日家が日蓮聖人の生まれた地に建立した。寺は、たびたび災厄にあったが、今でも貴重な文化財が多数所蔵されている。
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